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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)2146号・昭49年(ネ)2265号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一事故の発生

昭和四二年七月一六日午前四時四〇分ころ富士市日吉町三四一〇番地の一先交差点において、東方から西方へ直進していた大堀所有の甲車と南方から北方へ直進していた敦所有・運転の乙車とが出合頭に衝突したこと、当時甲車には、(その運転者が誰であるかはさておき)右大堀のほか川崎・樋上が同乗していたことは、全当事者間に争いがない。

二帰責関係

本件各訴訟の対立関係は、次表のとおりであるが、その帰責関係について順次検討をすすめる。なお、渡辺らは、後記のとおり敦の相続人(両親)である。

原審

事件番号

原告

被告

原告が主張する

被告の帰責事由

当審事件番号

二〇五号

樋上

川崎

甲車運転上の過失

(双方控訴なし)

大堀

甲車の運行供用者

二二六五号(大堀控訴)

渡辺ら

乙車の運行供用者

二一四六号(渡辺ら控訴)

二四四号

川崎

大堀

甲車の運行供用者

二二六五号(大堀控訴)

二九二号

渡辺ら

大堀

甲車の運行供用者

二一四六号(渡辺ら控訴)

二二六五号(大堀控訴)

1 (大堀の責任)

大堀は、甲車の運行供用者であることを認めているから、自賠法(自動車損害賠償保障法の略称、以下同じ。)三条によつて樋上・渡辺らの後記損害を賠償すべき責任がある(原審第二〇五号・第二九二号事件)。しかし、川崎に対しては、次の2で述べる理由によつて自賠法三条の責任を負うものではないというべきである(原審第二四四号事件)。

2 (川崎が甲車の運転者)

(一) まず、<証拠>によれば、

(1) 川崎は、無免許ではあつたが、自動車の運転が好きで、本件事故前にも、時々運転の練習をしており、知人と交代運転で遠出のドライブをしたり、深夜運転をしたこともあり、一応運転の技量を有していた。

(2) そして、本件ドライブにおいても、出発の当初甲車を運転していたのは大堀であつたが、途中で、川崎の希望により同人に運転を交代した(川崎自身も、<証拠>において、白糸の滝付近で甲車を運転していたことを認めている。問題は、その後の運転交代の有無すなわち事故時の運転者は誰であつたか、である。)。

(3) 本件事故時、甲車の前部座席(運転席・助手席のいずれであるかはさておき)に乗車していたのは、大堀と川崎であり(樋上は後部座席に同乗)、両名ともシートベルトを着用していなかつた。

(4) 本件交差点において、甲車の左側前部と乙車の右側前部とが出合頭に衝突後、甲車は、右前方に進行し、その左側前部が更に右交差点北西角のブロック塀に激突、左側前輪が側溝に落ち込み、車体が相当左前方に傾斜する状態で停止した。そして、大堀は、甲車の開かれた前部左側ドア(助手席側)近くの側溝の中に落ちて、座り込むようにしたまま立てずにいたが、事故直後、短時間とはいえ、外傷性の可逆的な意識障害を来たした状態であつた。また、川崎は、足を運転席(甲車の前部右側座席)の方に向け、助手席側の開かれた左側前部ドアからのけ反る状態で頭をつき出し気絶していた。なお、甲車の前・後部の右側ドアは、いずれも事故後閉じられたままであつた。

(5) 右事故によつて、大堀は、頤部挫創、右前膊打撲傷、左腰部打撲傷、上歯槽骨々折、左恥骨々折等の傷害(<証拠>に「頭部挫創」とあるのは、「頤部挫創」の誤記であることが、<証拠>によつて明らかである。)を受け、川崎は、後頭部挫傷、脳内出血、頸椎骨折、両膝部挫傷、瞳孔左側面偏位、眼底・乳頭浮腫状、脳脊髄圧亢進、右半身知覚障害の傷害を受け、後遺症として顔面神経麻痺、右下肢知覚障害がある。

以上のとおり認めることがで<る。>

(二) そこで、右(一)認定の事実に、<証拠>(成蹊大学工学部教授・江守一郎が本件記録を参考資料として、昭和五四年二月二〇日付で大堀の訴訟代理人・高橋尚志弁護士宛に作成した鑑定書)を参酌して検討すれば、次のとおりである。

(1) 一般に自動車の多くの出合頭事故例の解析と被験者を用いた衝撃実験の結果によれば、運転席・助手席いずれの乗員であろうとも、衝撃側の乗員は(慣性によつて間近のドア内部に頭から腰までほぼ全体が二次衝突するので)、腰部や腹部にも負傷するが、衝撃側と反対側の乗員は(慣性によつて上体が衝撃側の方に倒れながら車両内部に二次衝突するが、そのときの衝撃は、頭部や胸部の方が腰部よりもはるかに大きいので)、頭と胸に負傷し、腰部には怪我をしていないことが知られている。

これを本件についてみるに、甲・乙両車の衝突状況は、右(一)(4)のとおりであるから、右衝突によつて、甲車の乗員は、車内で左前方へ運動して車両内部に二次衝突したものであり、その結果、頭部しかもその左側に、より多く怪我した者が衝撃側と反対側にある右側座席、前部でいえば運転席の乗員である、ということになる。そこで、右(一)(5)の負傷状況をみるに、川崎は、頭部に重大な傷害を被り、しかも右半身知覚障害を訴えていたのであるから、頭部の左側を打撲したものと認められるのに比し、大堀は、乙車と衝突後、ブロック塀に激突した甲車から次の(2)で述べるとおり投げ出されているにもかかわらず、その頭部(顔面下部)傷害は川崎よりもはるかに軽かつたのであるから、甲・乙両車衝突時に、甲車の運転席にいたのは、大堀ではなくて川崎である、とみるのが合理的と思われる。

(2) かりに、大堀が運転席にいたとすると、右(一)(4)の事故直後の状況からみて、大堀は、ブロック塀に激突後、助手席に倒れていた川崎を乗りこえて左側前部ドアから車外へ出て側溝の中に入つたか、又は、運転席側の右側前部ドアを開けて車外に出た後、そのドアをわざわざ閉めて車体の後部を廻り前記側溝の中に入つたこととなるが、前叙の傷害を負つた同人に、このような行動をとれる余地があつたかどうかが甚だ疑問であるのみならず、右不可解な行動をとらせるに足る動機を認むべき証拠もない。むしろ、甲車がブロック塀に激突した衝撃で、左側前部ドアが開き、助手席側の大堀が車外に投げ出されて側溝に落ち、運転席側の川崎が開かれた反対側のドアからのけ反り出たとはいえ、なお車内に留まり助手席に倒れていた、とみる方が自然といえよう。

なお、大堀が助手席にいたとして、甲車は乙車に左側を直撃されたのではないから、乙車との衝突によつて、大堀が左恥骨々折の傷害を負うことは考えにくいのであるが、右のようにブロック塀に激突後、大堀が車外に投げ出されたとするならば、その際に右傷害を負つたものとみることが可能になるのである。

(三) 以上(一)の事実と(二)の説示を総合するならば、本件事故時に甲車を運転していたのは、川崎であつて大堀ではないと認めるべきである。<証拠判断略>

(四) かくて、川崎は、甲車の運転者と認められるから、自賠法三条にいわゆる「他人」ではないというべく、したがつて、同人の大堀に対する請求(原審第二四四号事件)は、爾余の判断をするまでもなく失当として棄却されなければならない。

3 (渡辺らの責任)

前記一のとおり敦は、乙車を所有し、これを運転中に本件事故となつたものであるから、乙車の運行供用者というべく、自賠法三条によつて樋上の後記損害を賠償すべき義務があるところ、敦が事故当日の午前五時三五分ころ死亡し、その両親たる渡辺らが相続人の全部であることについては、樋上・渡辺ら間において争いがないので、右敦の損害賠償債務は、渡辺らが相続によりその相続分(各二分の一)に応じて承継したものである(原審第二〇五号事件)。

三樋上の損害(原審第二〇五号事件)

<証拠>によれば、樋上は、本件事故により頸椎第六圧迫骨折・第一腰椎横突起骨折等の傷害を負い、昭和四三年八月一〇日まで一年以上の長期間にわたり米山病院・甲府共立病院・山梨県立中央病院に入院し治療を受けたけれども、右上下肢の筋力減退・独歩五〇メートル程度・爪先立不能・右手握力五キログラム程度(重い物は持てない)・右半身不全麻痺(出産も不能)等の頸髄損傷後遺症(自賠法施行令二条の後遺障害等級表の第一級該当)に悩まされ、現在もコルセットを着用し、時折通院して治療を受けていることが認められる。

そして、その結果樋上が被つた損害は、次のとおりである。

1 (各種の損害)

(一) 治療費 金六四万二九五九円

<証拠>によれば、樋上は、前記米山病院の治療費として金六四万二九五九円を要したことが認められる。

(二) 逸失利益 金六二九万一〇〇〇円

<証拠>によれば、樋上は、事故当時満二四歳(昭和一七年一一月二〇日生)の健康な女性で、大堀の経営する食堂に勤務し月額金二万五〇〇〇円の給与を得ていたが、本件事故による前記後遺症のため生涯就労不可能の身となつてしまつたことが認められる。そして、右に認定した樋上の年令・職業・健康状態を考慮するならば、樋上の稼働可能年数は、事故時より満六三歳に達するまでの三八年間(控え目の計算によるため年未満切捨て)とみるのが相当である。以上に基づき、右稼働期間中の逸失利益の総額につき、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、事故時における現価を算定すれば、金六二九万一〇〇〇円となる(25,000×12×20.970=6,291,000)。

(三) 慰藉料 金四〇〇万円

前記認定にかかる樋上の受傷・治療経過・後遺症等の事情に照らし、樋上の精神的苦痛を慰藉すべき金額としては金四〇〇万円が相当である。

2 (好意同乗―大堀の抗弁)

前叙のように、大堀は甲車の保有者であり、樋上は甲車の同乗者であつたことについて、争いがない。ところで、<証拠>によれば、本件事故当時、樋上は、内縁の夫と一緒に大堀が経営する食堂に勤務していたものであり、川崎は、樋上の友人で事故の前日に右食堂の仕事を手伝つていたこと、大堀は、樋上夫婦のいさかいをなだめ仲直りさせるために、甲車でドライブすることを誘い、樋上夫婦を後部座席、川崎を助手席にそれぞれ同乗させ、自ら運転して出発したこと、ところが、途中で川崎の希望と樋上の口添えによつて甲車の運転を川崎に代り、自らは助手席に同乗中本件事故に遭遇する破目となつたこと(前記二2参照)、川崎は、無免許運転であつたが、当時、樋上も大堀もそのことを知らなかつたこと、以上の事実を認めることができる。

このように、樋上は、大堀の好意によつて甲車に同乗し、ともにドライブを楽しんでいて事故に遭遇したものであるから、大堀に対する関係では、いわゆる好意同乗者として賠償額の算定上減額の事由として斟酌されるべきものと考える。そこで、右に認定した樋上と大堀との人的関係、運行目的、同乗の態様・経緯等を考慮するならば、樋上が大堀に賠償を求めうべき損害額は、前示三1の合計額たる金一〇九三万三九五九円より概ねその二割を減じた金八七五万円と認めるのが相当である。

(鰍澤健三 奥村長生 佐藤邦夫)

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